どうしてこう、いつもチグハグなことばかりするのだろう──。
それが、ストーブリーグで例年感じるオリックス・バファローズに対する、ぼくの率直な感想だ。
T-岡田や吉田正尚といったお金のとれる生え抜きスターも少なくないし、本拠地京セラドームの立地は他と比べてもかなりいい。
応援歌やユニフォームだって、垢抜けていてカッコいい(限定ユニだけは謎だけど)のに、決定的な何かに欠ける。
それが、優勝からは22年も遠ざかり、昨季は観客動員でも12球団最下位に沈んだ成績&人気の低空飛行にもつながっていると思うのだ。
では、「何」が欠けるのか──。
物心ついたときから阪急ファンで、イチローがいた頃まではオリックスを熱心に応援していたぼくが思うに、それはファンが共有できるチームとしての「物語」。
かつてのブルーウェーブが「がんばろう神戸」の旗印のもとで一丸となったように、「このチームで優勝したい」と心から思える物語が、いまのオリックスという球団にはない(あるかもしれないけど傍目には見えない)のである。
もちろん、球団を率いる宮内義彦オーナーが根っからの〝野球好きおじさん〟であることは知っているし、その〝野球愛〟はひと昔前には「財界人野球」のエースとしても自らグラウンドを駆けていたほど。
かのナベツネ氏が第一線を退いたいま、球団オーナーが直々に観戦して〝御前試合〟などとメディアに書かれるのは、彼くらいのものだろう。
だが、なまじ〝野球を知っているおじさん〟は、「金も出すけど、口も出す」のが世のならわし。
チーム成績という名の「業績」が好調なときはさまざまな面でプラスに作用していたトップからの「鶴の一声」が、悪化に転じた途端、現場を萎縮させるだけの「圧」になる……なんて話は、一般社会でもそこらじゅうで聞く話だったりもするはずだ。
「もうかる会社にはしません(笑)。もし黒字になったらファンに還元し、皆さんに楽しんでもらうようにするということです」
たとえばこれは、89年12月24日号の『サンデー毎日』からの引用だが、その言葉の端々から感じられるのは、「ブレーブス」として戦った参入1年目の充実感。
04年の〝球界再編騒動〟の際に選手会&ファンと対立し、三木谷浩史氏や堀江貴文氏らにも眉をひそめた〝守旧派〟然とした口ぶりはそこにない。
リーグ優勝を目前に控えた95年の同じ『サンデー毎日』でも、チームの強さの源は「自力更生」だとして、こうも続けているのだから、人は変われば変わるものである。
「まあ、あと一枚看板があれば勝てるというのであれば、大金を払って獲得することもあるかと思いますが、そういった選手を中心とするチーム作りは、これからもやりたくありません」(95年9月3日号)
確かに、球場や2軍のネーミングライツ売却や、メジャー流の「ボールパーク」を意識した旧本拠地グリーンスタジアム神戸の内外野総天然芝化、フィールドシートの新設といった、宮内オーナーだからこそできた先進的な試みはいくつもある。
かの〝再編時〟にしばしば「プロ野球を変革したい。サッカーには負けたくない」と語っていたその想いも、結果的に〝齟齬〟は生まれたとはいえ本心ではあるだろう。
事実、騒動さなかの05年にインタビューに応じた『週刊ポスト』(1月21日号)でも、語られた言葉はなかなかにポジティブ。パ・リーグで唯一、球団名に地域名を冠さないチームのオーナーとは思えない〝ド正論〟なのだから驚くばかりだ。
「プロ野球を真のビジネスにしようと思ったら、米メジャーリーグのように、球団名に社名を出さないようにすべきです。私の理想は球団名から『オリックス』の名前を外すことです。野球のプレーそのものが売れる、つまりファンから支持されることが何より重要なのです」
むろん、オーナーの考える「ファンから支持されること」が何かは、ぼくなどには知るよしもない。
けれど、彼自身が中日監督時代の落合博満氏のいった「勝つことが最大のファンサービス」的な考え方の信奉者であるなら、その後も続いた〝迷走〟ぶりにも、ある程度は得心がいく気がしなくもない。
08年にローズ、カブレラ、ラロッカ、フェルナンデスといった長距離砲を集めた「ビッグボーイズ打線」を売りだしたのも、あと一歩で優勝を逃した14年オフに敢行された中島裕之、小谷野栄一、ブランコ&バリントンらの〝30億円補強〟も「勝つこと」を最優先に考えた結果だとしたら、一応の筋は通るからだ。
だが、冒頭でもふれたように、もともと地味なパ・リーグの、それもそんなに強くないオリックスのようなチームのファンが求めるのは「強さ」よりまず「物語」。
ただ「勝利」が見たいだけなら、よそのチームを応援したほうが確率は高いのだから、そこをはき違えてしまっては「ファンからの支持」は望めない。
22年も優勝から遠ざかっているチームのファンは、順位や貯金の数といった「結果」以上に、その勝利が誰とどう戦った末に得られたものかの「過程」のドラマを渇望し、共有したがっているものなのだ。
今季開幕前にあった激励会の壇上で「私も相当歳になりました。(中略)早いこと(冥土の)土産を作ってほしい。個人的に少し焦っている」と檄を飛ばした宮内オーナー。
ブレーブス、ブルーウェーブがなくなり、実質的に神戸からも去ったときのさびしさを知る者のひとりとしては、かのイチローが引退に際して
「日本でプレーする可能性があったとするなら、神戸でしかないんですよね」
と語った、その言葉、そこにあった「物語」の意味を、もう一度思いだしてほしいのだ。
『EX大衆』19年8月号 プロ野球「フロントvs現場」抗争秘話 より
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