マリーンズの応援に関する一考察

※『EX大衆』6月号「プロ野球全12球団 応援スタイル論」より転載


SNSの普及で野球に対するさまざまな言動が可視化されるいまだからこそ考えたい、応援とは、ファンとは。ボビー・バレンタインの退任騒動に端を発した、悪夢の“09年”を知るロッテファンの筆者が思う「距離感」の大切さ。


読者のみなさんにとっては「知らんがな!」なことには違いないが、ぼくはこの十数年来、千葉ロッテマリーンズを応援してきた。


好きが高じて「あるある本」を2冊も出したし、16年、17年には球団公認でDVDつきのファンブックを作ったりもして、「マリーンズ通」的な立ち位置で原稿を書かせてもらう機会も少なくない。


そんなぼくが日頃、ツイッターでのやりとりなどを眺めながらよく思うのは、「なぜマリーンズファンは“応援かくあるべし”で揉めるのか」ということ。


他球団ファンの方々にしてみれば、おそらく「ロッテ=応援がすごい、カッコいい」というイメージが圧倒的。球場を揺らすほどの声量と運動量が織りなす、あの独特の統一感を、敵ながら「うらやましい」と感じてくれている人もきっとたくさんいると思う。


でもその裏側では、応援に対してそれぞれがもつ理想や譲れない想いがしばしば衝突。「外野席ではもっと声を出すべき」、「ジャンプすべき」、「ファンならちゃんと球団にお金を落とすべき」といったさまざまな「べき」論が飛び交い、その都度ツイッターのようなオープンな場所ではファン同士の論争が巻き起こってしまうのだ。


もちろん、それは決して悪いことではないし、愛するがゆえのいさかいなのも分かる。けれど「26番目の選手」を自認するマリーンズファンなればこそ、その闘志やエネルギーは“身内”にではなく、外に向けてほしいのだ。


外野席で立たないファンにムカついたのであれば、それをいきなりSNSにさらすのではなく、その場で「なぜ立つのか」をレクチャーしてみるのもひとつの手。応援団の演奏するチャンテや応援歌が自分の思うタイミングと違ったのなら、「わかってない!」と憤りを表明するまえに、担い手である彼らと対話したほうが、いくらか建設的な気がしなくもない。


だいたい、無遠慮に吐き捨てられる「意見しても全然変えようとしない」→「だからあいつらはクソだ」的な書きこみを見て「おっしゃる通り。あらためよう」と思う当事者はいないだろう。


SNSの存在は、球団や選手とファン、あるいはファン同士の関係性をすごく身近にしてくれたし、とても便利で、いまやなくてはならないものだとさえ思う。


けれど一方でその便利さは、脊椎反射的な言葉の応酬で、時にいらぬ誤解や論争も生む。「リテラシー」なんて言葉を使うのはむずがゆいけど、ファン同士だからこその適度な「距離感」というのはやっぱり大切だと思うのだ。


2009年シーズン。バレンタイン監督の退任発表に端を発した、旧応援団の中核組織『MVP』とフロントとの対立は、多くのファンを巻き込む大騒動へと発展。事実上排除された旧応援団に替わって組織された新応援団のもとでは、一部選手を除くほぼすべての応援歌が刷新された。


あの一件がいまだ“火種”としてくすぶっていると言ったら、「そんなこともあったね」レベルの他球団ファンは驚くかもしれないが、実際問題、そこはかなりセンシティブだから厄介だ。


たとえば16年には、新たに就任した応援団長のもとで、マリーンズ応援の代名詞とも言えるかつての名物チャンテ『スキンヘッド・ランニング』の復活が宣言されるも、即座にMVP側からモノ言いがついて“炎上”したし、今季、球団の公式ツイッターにお笑いコンビ『トータルテンボス』の藤田憲右氏が登場した際には、彼自身がMVPメンバーが設立した社会人野球のクラブチーム『TOKYO METS』の元部長だった背景から“クソリプ”が殺到。残る遺恨の根深さをあらためて感じさせることにもなっている。


彼らMVPが取った行動はまったく肯定できるものではないし、事実の隠蔽まで明るみになった球団フロントの姿勢も評価できるものでは決してない。けれど、それはそれ、これはこれ。そもそもぼく自身が、METSでコーチを務める愛甲猛氏と懇意にしていることと、マリーンズが好きなことだって、1ミリも矛盾しないのだ。


巷では「マウンティング」なんて言葉が流行っているし、敵か味方かといたずらに二項対立をあおる風潮も事実としてある。


でも、映画にいろんな見方があるように、同じ娯楽の野球だって受け取り方は人それぞれ。一見さんも常連さんも、野球好きもただ連れられて来た人も、まぜこぜになって、なんか楽しい時間が共有できれば、それでいい。


応援のスタイルを“変革”した者としての誇りや、戦力になっているという自負はあって当然。それがマリーンズを強くしてきたのも疑いようのない事実だ。


ただ、そこはやっぱり「選手ファースト」が大前提。声援を送るぼくらには「違う」ことを認めあえる懐の深さがあっていい。

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