【全文掲載】徳武定祐氏が語る「先輩・金田正一」【EX大衆19年12月号】

現役時代は国鉄の後輩として、ロッテ監督時代はコーチとしてカネやんを支えた〝懐刀〟徳武定祐氏。カネやん仕込みの〝丈夫〟ぶりで御年81歳にして、いまも古巣・早大野球部のコーチを務める氏に、レジェンドの素顔を語ってもらった。

──大学時代の徳武さんは「東京六大学野球」のスター選手。〝盟主〟巨人からも熱心に誘われたと聞きます。最終的にカネやんのいる国鉄を選んだのはまたどうして?


徳武 いちばん試合に出られるのは国鉄だろうっていうのが、自分のなかでもあったからね。まだドラフトがない頃で、巨人からも熱心に誘われてたけど、心はだいたい決まってた。そこに金田という人が現れてダメを押したって感じかな(笑)


──直接スカウトに来たと?


徳武 大学4年の11月ぐらいに知りあいの結婚式があってね。その会場に、まだなんの面識もなかった金田さんがフラッと来たんだよ。おそらく高校生の頃から自分に目をかけてくれてた西垣(徳雄/※)さんあたりが差し向けたんだと思うんだけど、いきなり現れて、「おまえ、いい手してんな」みたいなことを言われてね。当時すでに大スターだった人にそんなことを言われたら、やっぱりその気になっちゃうよね。


──徳武さんが出会った時点で通算254勝だった事実にも驚愕ですが、実際に同僚として接したカネやんはどんな方だったんでしょう?


徳武 ちょっとでも待って(ボールを)捕ろうもんなら試合中でもドヤされたし、野球に関してはすごく厳しかったよね。でも、あの通り、親分肌で面倒見はいいからさ。1年目のオープン戦で西鉄とやったときなんかは、俺をつれてわざわざ相手のところまで行って、「今年入った徳武って言うんだ。よろしくな」って紹介してくれてね。

普通、右も左も分からないド新人が、稲尾(和久)、豊田(泰光)、中西(太)、仰木(彬)なんていう錚々たる面々がそろってるところにおいそれとは行けないじゃない?(笑)。豪快に見えて、そういうさりげない気づかいができるのが金田って人なんだよな。


──カネやんにはキャンプ中の逸話もたくさん残っていますよね。


徳武 1年目は鹿児島の指宿、2年目からは湯之元(日置市)ってところでやってたんだけど、他の選手たちがみんな、国鉄の『つばめ』っていう寝台列車に揺られて現地に向かってたなか、金田さんだけはひとり飛行機でね。宿舎の近くに自分で部屋を借りてたから、食事も基本的にはそこで自炊。練習自体もあの人独特のルーチンでやってたから、キャンプ中に投げてる姿なんて一度も見たことがなかったね(笑)


──日課にしていた〝朝の散歩〟からして、ものすごい運動量だったと聞いたことがあります。


徳武 監督になってからも選手にやらせてたけど、歩くスピードも距離もとんでもない。あれは散歩なんてもんじゃなかったね。でも、その豊富な運動量が、金田正一という人を作っていたのは間違いない。練習終わりには、汗まみれになった大量の練習着を自転車の荷台に山積みにして、球場から宿舎までの登り坂を毎日駆けあがっていたからね。


──カネやんと言えば、オリジナルの〝金田鍋〟も有名です。


徳武 キャンプ中も、自分で魚河岸まで行って、買ってきた魚で作ってたよ。で、たまに「朝メシ、食べに来い」って呼ばれて行くと、自ら台所に立って振る舞ってくれてさ。あれは旨かったし、うれしかったよ。ちなみに、金田さんの自家製料理には、薬味のたくさん入った〝金田スープ〟っていうのもあってね。それに関しては、レシピを聞いてきた妻がよく作ってくれたから、ウチでも定番になってたよ。いまじゃ娘にも受け継がれて(二女の夫である)郷ひろみも食べてるしね(笑)


──なんていい話! ところで、打席で体感するカネやんの投球には、やはり凄味もありました?


徳武 スピードだけで言ったら、そりゃ江夏(豊)のほうが断然速かったよ。ただ、フォームにいっさいの力みがなかったし、球の出どころもストレートとカーブでまったく同じ。よく冗談交じりに「おまえなんか、この辺(手首)でパパッと三振や」なんて言ってたけど、実際、それだけの投球術を持ってたよね。ただ、あの人、俺の打席ではなぜかフォアボールが多くてね(笑)。巨人に移ってからは何度も試合で対戦したけど、どこか投げにくさみたいなものを感じてたのかもしれないね。


──徳武さんは、ちょうど〝ON〟の狭間の世代。現役時代に「あのとき巨人に入っておけばなぁ」と感じることはなかったです?


徳武 そりゃあ、ないこともないけどね(笑)。でも、親父を早くに亡くしてた俺にとって、早大の監督だった石井連藏と金田正一っていうこの2人はやっぱり特別でね。常に我に返って自分を磨かかせてくれる〝砥石〟みたいな存在でもあったんだよ。

長嶋(茂雄)さんやワンちゃん(王貞治)と一緒にやってたら、もちろん未来は違ったと思う。でも惚れちゃったんだよ、俺は。近くでずっと見てきたからこそわかる金田正一って人の父性や人間味にね。


※球団創設の50年から4年間指揮を執った国鉄スワローズの初代監督。コーチなどを歴任し、第一次金田政権下の76年からロッテの球団代表に就任。82年まで務めた


徳武定祐

とくだけ・さだゆき●1938年、東京都出身。早実から早大へと進学し、58年秋から5季連続でベストナインに選出。11球団の争奪戦を経て、国鉄に入団し、正三塁手として活躍した。70年に中日で引退後、中日&ロッテでコーチ・フロントを歴任。77〜78年には1軍打撃コーチ、90〜91年には1軍ヘッド兼打撃コーチとして、ロッテの監督を務めたカネやんをサポートした。早実時代の同期に故・醍醐猛夫(元ロッテ)、2学年下に王貞治氏らがいる。

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